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やっぱりこれから中国語の時代!?

ニュースでこんな記事を見ました。

「伊藤忠商事、全社員の4分の1が中国語話せるよう育成へ」

 

社員の4分の1にあたる1000人に中国語習得の義務を課すそうです。

大企業も中国語を必須ととらえてきたようですね。

これから日本語が生き残るうえで、やはり中国の市場は外せない。

そんな焦りも伝わってきます。

 

これを逆手にとらえると、日本人で流暢な中国語を話せる人材が重宝されるということかもしれません。

中国語は、日本人にとっては学びやすい外国語です。

漢字はほとんど意味わかりますし。

今から挑戦してみても遅くはありませんよ!

EC kidsは、日本の方が中国語を学習したり、中国のことをもっと知っていただけたりすると大変うれしいです!

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育児書、教授法の本読み漁っています(小学校になる前に確立したい親の教育方針)

最近、欧米(特にフィンランド)の授業内容の本だったり、調べる力を育てる本だったりと何かしら読書している。

私(母)は、学校時代は成績はまあいい方。

でも、昔の記事で書いたように応用力、論理力にかけると自分でも痛感している。

そして、日本の学校の教授法に疑問も。。。(今変わってきているのかな?)

最近お姉ちゃんが私の言うことを素直に聞かない時が出てきた(これはこれで、自我の芽生えとほほえましく思うが)。

これを機に、今からの我が家での育児方針を模索すべく図書館で沢山本を借りてきたというわけだ。

 

本を読んでいて、心に響くキーワードをあげておく。

・教師は教えることが仕事なのではない。学びたい子を育てるのが仕事

・知識量を増やすのではなく、学びたいときに自分で学べるよう、学び方を教える

・学びのスピードは個人によって異なって当たり前(一斉授業に疑問)

・単純な機械的計算問題は訓練と同じで楽しくない。生活で実際に使う場面の中で、必要があるからこそ計算をすべき

・基礎、応用と2分化できるものではない。実際の場面では、基礎と応用が混ざっていることが多々

・身近な内容(子どもの生活に直接関係のある内容)から、話を膨らませて色々な分野に導いて教える

・調べる力。百科事典の使い方や周りの人に聞く方法

・調べた後にまとめて発信する力。レポートの書き方

 

EC kidsでは、英語中国語の教材を販売しているが、やはり母語である日本語の上に外国語は成り立つ。

まずは日本語を使った思考力を鍛えることも忘れてはならないと思う。

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クリティカル・リーディング☆「国際的な読解力」を育てる新しい読書教育の方法

図書館から借りた以下の本が、なかなか考えさせられる内容でした。

「国際的な読解力」を育てる新しい読書教育の方法

心に残った点をメモしておきます。

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まずは、日本と欧米との読書および国語教育の違いについて。
日本:
・薄い教科書教材を長時間かけて読む精読主義
・多読は重視しても、読みっぱなし
・自分の読書感想を述べるのは一方的な読書感想文が主
・読解のテストは文章に書いてあることが正確に把握できているかを評価→答えはひとつ

欧米:
・教科書はなるべく使わないで、なるべく多くの本を読んで討論する
・お互いの読みが正しいかどうか、意見を出し合って討論
・丸のままの本を読み、読解力をつける
・読解のテストでは、書いてあることを理解するだけではなく、書いてあることについて自分の意見を表現させるところまで求める
・読解表現力を育てるために、読書をした後(または、しながら)、以下の2種類の質問をします。
★内容を理解するための問いで、本に答えが書いてある→必ず本文に何が書いてあったか確かめる
★色々な解釈や考え方が出来るオープンエンドな問い

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実際にどういう質問をすればよいかや、子どもの読解力を育てるためにはどんな取り組みをすればよいかも詳しく書いてあります。

子どもに読み聞かせをして、読みっぱなしになっていた私。。。

今からクリティカル・リーディングを勉強して少しずつインタラクティブで創造的な読書の時間を子どもたちと持てれば、と思っています。

とりあえず、この本を再読するつもりです!

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子どものナゼ?を活用☆なぜ雨が降るの?

今日、お姉ちゃんがふと「ママ、なんで雨が降るの?」と聞いてきました。

正直なんて答えたか良く覚えていませんが、まあ、常識の範囲で適当に答えました。

お姉ちゃんは、良く分かっていなさそうでしたが、すぐに次の話題に移ってしまいました。

頭の中では、お姉ちゃんってこんなこと考えるんだ~と感心したものの、受け流しになってしまい反省しました。

そこで。。。

ネットで調べてみました。(≧v≦●)。せっかくだから、英語で(Why does it rainで検索)。

You Tubeで動画をみたり、Webページを読んだり。思っていたより複雑でとっても勉強になりました。

これは、イイ!楽しい!(私が)

そして、今度質問された時はうまく答えられるといいな。

ひとつ、良いサイトを見つけたので興味をもたれた方は見てみてくださいね♪

Easy Science for Kids

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本からは学べないこと☆外国語学習の難しさと面白さ

昨日の夜、中国のおばあちゃんが湯沸かしポットでお湯を沸かしてたので、うちの弟君に少しもらおうと、“这个水,给○○喝一点儿,好吗?(このお水、○○(弟君)に少しあげても良いですか?)”と聞くと、おばあちゃんがクスクス笑って。。。

何事かと思うと、普通中国人はそんな言い方しないそうだ。

中国人なら“我给○○喝一点儿。(○○(弟君)に少しあげるね)”と言うらしい。

つまり、水をもらうくらいで“好吗?”と許可を求めたりしないとか。

日本語を中国語に訳しているつもりはないんだけど、日本人の礼儀の良さ(笑)が私の中国語レベルを下げているなんて。。。

こればかりは、実際に会話の中で使って覚えていくしかないんでしょうね~

本やら何やらで学習することは外国語学習の第一歩ですが、話せるようになってからの実践が大切だとしみじみ思いました。

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中国語を話さざるを得ない環境で

中国からおばあちゃんがやってきて、はや3週間目。

お姉ちゃんは、おばあちゃんが中国語しか話せない事を実感してきたよう・・・(*´-ω-`)

今までは、おばあちゃんにもずっと日本語で話しかけていたんだけど、ここ2,3日おばあちゃんと二人の時は中国語を話している様子(遠くから耳を澄まして聴いている母(´-ω-`))。

うまく通じない時もあるけど、その話そうとする意気はうれしいよ。

なんだか私も3週間中国語を話し続けて、頭の中が中国語だらけ。

私だってうまく言えない事は沢山あるけど(昨日は「ナツメを袋の中に入れっぱなしにしていたらカビが生える」って言いたかったけどパット言えなかった)、話そうと思えば通じるんだよね。。。

おばあちゃんも、標準語を話さずに方言ばかり。

でも、不思議と聞き取れた2,3単語から意味を推測できる。

きっとお姉ちゃんが、英語や中国語で会話をするときこんな感じなんだろうなって実感。

100パーセント聞き取れることはもちろん素晴らしいけど、聞き取れない時に推測する力、分かろうとする努力の方が語学を勉強するうえでは大切だ。

おばあちゃんが来てくれて色んな貴重な体験ができて感謝。

英語は最近アニメ視聴だけだけど、おばあちゃんがいるときは中国語を伸ばすことに専念しよう。

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中国語を話すチャンス?!中国からおばあちゃん☆

昨日中国からパパのお母さん(奶奶)がやってきました。

問題なければ最長半年滞在できます。

これは中国語を伸ばすチャンス!

でもお姉ちゃんは、恥ずかしいのか?ほとんど日本語で話しかけていました。

EC kidsの音声ペンを使いながら、発話につなげていけたらと思っています。

それにしても、英語はどうしよう。。。

英語は、今結構話せているんだけど、毎日中国語じゃ退化するかな?

私と2人の時間があれば英語で話すようにしようと思います。

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トリリンガルの頭の中

4歳4カ月のお姉ちゃん。

最近、英語や中国語で分からない言葉があると”~~って何(どういう意味)?”と聞くことが多くなってきました。

わからないというよりかは、何となくわかるんだけれど、自分の理解が正しいか確かめたいようです。

ついこの前、私がご飯の準備をしていると”ママ、『ば~い』って何?”と聞いてきました。

私:”『ば~い』?Bye Bye? それ何語?”

お姉ちゃん:”(しばし沈黙)。。。I’m crossing by.”

私:”あ~(英語のbyね!)。Now, I’m crossing by you(私がお姉ちゃんの前を通りすぎる). ”

お姉ちゃん:”Ah~. I’m not crossing by. (座っているから!?)”

と、お姉ちゃんが正しく理解できたかは別として、このようなやり取りがありました。

どこかのアニメか何かで聞いた言葉が頭に残っていて意味を確かめたかったんですね。

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中国語も、パパに「朝って中国語で何というの?」と聞いて中国語の単語を教えてもらってから

「早晨我吃过了(朝、もうそれは食べた)」とパパに言ったそうです。

4歳になると言語に明確な境界線ができて、混ぜることも少なくなりました。

日本語と、英語と中国語。

お姉ちゃんの頭の中がどうなっているかとても興味深いです。

 

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子どもの勉強に対する親の希望

今日は、私の子どもへの希望を話させてください。

いろいろな教材をEC kidsで発売していますが、

自分の子どもにお勉強をさせたいと思ったことは殆どありません。

もちろん、英語と中国語を不自由ない程度に身につけてほしいとは思っています。

ただ、学校でよい成績を取ってほしいとか、有名大学へ進学してほしいとか、そういう希望は子どもには持っていません。

英語と中国語を身につけてほしいのは、勉強ができなくても、それが身に付いていれば、何らかの仕事があるかと思ってです。

つまり、生き残るため、、、とでも言いましょうか。。。

 

私自身、勉強が趣味のような人生を高校時代から今までずっと送ってきました。

今でも、暇さえあればテキストを開いて、暗記、音読。。。

大学入試前は、休みの日でも、一日13時間も勉強。

社会人になってからは、趣味の延長として先生や他の仕事をしてきました。

 

しかし、私には応用力が不足しています。

勉強したことを応用できない。

その力不足は、高校生のころからひしひしと感じていました。

勉強ができても、勉強ができるだけじゃ意味がない。

暗記力があっても、それだけじゃ何も創造できない。

 

だから、自分の子どもには、学校の勉強だけに力を入れるのではなく

子どもの時からいろいろな経験をしてほしい。

その経験を自分の思考力につなげてほしい。

 

特に、自分の子どもは、日中ハーフなので、日本だけでなく中国にも目を向けてほしいです。色んな人が、色んな生活を送っているということを感じてほしい。

 

なにより、今日本人の若者には無くなってしまったハングリー精神を持ってほしい。

機会があれば、中国のまだ貧しい地域などに連れて行きたいと思います。

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養生訓より学ぶ~食し方と五思~

人やあらゆる動物は必ず食事を取ります。皆さんは毎回何かを意識しながらご飯を食べていますか??どのような食べ方をしていますか??養生訓に日頃から意識できそうなことが書かれてありましたので、ご紹介します。

養生訓より 食し方について☆

選んで食べる     

 食物はからだを養うものである。からだを養うものでかえってからだをそこねてはならない。だからすべて食物は性がよくて、からだを養うのにためになるものをつねに選んで食べなければならぬ。益がなくて損のあるものは、味がよくても食べてはならぬ。温まって気を塞がないものは益がある。冷たくて吐きくだしをおこし、気を塞ぎ、腹をはらせるものや、辛くて熱のあるものはみな害がある。

飯を食べ過ぎると 

 飯はよく人を養うが、またよく人を害するものである。だから飯はとくにたくさん食べてはいけない。いつもちょうどよい分量を定めておくことである。飯をたくさん食べると脾胃をそこね、元気を塞ぐ。ほかの食物の過ぎたのよりも、飯の過ぎた方が消化が悪く大害がある。客に行ってそこの主人がせっかく心をかけて用意してくれた御 馳走に箸をつけないと、主人の好意を無にして悪いと思ったなら、飯をふだんの半分にして、副食の御馳走を少しずつ食べるがよい。こうすれば副食が多くても 食物にそこねられない。飯をいつものように食べ、また鳥や魚などの副食の品を多く食べるときっと害がある。御飯のあとてまた茶菓子といって餅やだんごなど を食べたり、あるいは後段といって麺類と食べると、腹いっぱいで気を塞ぎ、食のために害される。これは常の分量に過ぎたからである。茶菓子・後段は予定以 外の食物である。少ししか食べないでもよい。度をすごしてはならぬ。もし食後に少し食べようと思ったら、あらかじめ飯をへらしておくがいよい。

食べすぎないように 

 飲みものや食べもののことばっかりいってる人間は人からいやしまれる。それは小さいものを養って、大きなものを忘れるがためであると孟子がいわれたように、口や腹の欲んじひかれて道理をわすれ、ただ腹いっぱい飲み食いすることだけを好んで、けっきょく腹がへり、いたみ、病気となり、酒によって乱れるのはこのうえなくいやしむべきことである。

 

ものと食べるときの5つの思い・・・

五思とは ものを食べるとき五思というものがある。第一はこの食は誰が下さったかを思わなければならない。小さいときはお父さんが下さるのだし、大きくなれば殿様が禄を下さるのである。これを思って忘れてはならない。あるいは殿様や父でなく、兄弟や親族や他人の世話になっている人もあるだろう。この時もまたその食事を誰が下さるかを思って、その慈愛を忘れてはならない。農工商の自分の力で飯を食う者も、国の恩を思わねばならぬ。第二には、この食事はもと農夫が骨を折って作り出した苦しみを思いやらなければならない。忘れてはいけない。自分で耕さないで、楽にしていながらその養いをうけるのである。その楽しみを楽しむべきである。第三には、自分に才徳や正しい行いがなく、殿様をお助けし民を治めるてがらがないのに、こんなおいしいものをいただけるとはたいへん幸いである。第四に、世の中には自分より貧乏な人がたくさんいる。そういう人は糠や糟でもよろこんで食べている。また飢え死にしている人もいる。自分はおいしい御飯をじゅうぶん食べて、飢える心配がない。これは大きい幸福ではないか。第五に、 大昔のことを思うがよい。大昔には五穀がなく、草木の実と根・葉を食べて飢えをまぬがれていた。その後五穀がでてきても、まだ食物を火で調理することを知 らなかった。釜やご飯蒸しがなくてものを煮て食べなかった。生でかんで食べれば、味がなく胃腸をそこねたであろう。今日、白いやわらかいご飯をたいてじゅ うぶん食べ、またそのほかに吸物があり、副食があり、朝夕じゅうぶんに食べている。そのうえ酒があって心を楽しませ、気血を補っている。だから朝夕食事を するたびに、この五思のうち、一、二でもよいからかわるがわる思いをめぐらして忘れてはならない。そうすれば日々に楽しみもまたその中にあるだろう。これは私が考えだした説である。かってにここに書いたものである。坊さんのうちでは食事に五観というものがある。が、これとは別物である。☆

いかがでしたでしょうか??毎日のお食事の中で、たくさんの幸せを見つけられそう♪そして身体も心も喜び、より一層健康に近づけますねm147.gif

 

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